新!1人2役インタビューで自己紹介をする!
さて、こんにちは。
今日は何かと大きいまゆみさんをご紹介します。
聞き手はわたくし、まゆみです。
私『こんにちは。今日はよろしくお願いします!』
私「よろしくお願いします!」
(同一人物です。『』と「」でご判断ください)
私「なんか普段こうして聞かれることがないので緊張しますね。」
私『そうでしょうね、大した事もされていないですしね。』
(自虐も入ります)
私『早速ですが簡単にプロフィールをお教えください、知ってますが。』
私「はい。新潟県で生まれ埼玉で育ちました。大学生から鳥取におり、卒業後ブルキナファソという西アフリカに2年間おりまして、再度鳥取に大学院進学のため帰ってきました。」
私『そうですか』
エピソード1 ー身長は173センチあります。
私『バスケかバレーしてた?とよく聞かれませんか?』
私「言われます。水泳をしていました。」
私『大したことなかったんでしょ?』
私「高校の先生に“だからお前は三流選手なんだよ!”と叫ばれたぐらいです。小学生の頃はジュニアオリンピックという全国大会に3回出場しました。中学で関東大会3位、全国大会出場した後は、高校では関東大会止まりです。実に中途半端です。」
エピソード2-芋女だった。
私『で、大学でやめたと。』
私「水泳を仕事にしようというつもりはありませんでした。なので、中学3年の夏が終わってからは高校の推薦を断り、公立の高校へ進学しました。」
私『あの、芋が有名な?』
私「そうです、川越の。」
私『高校の3年間がとても楽しかったと以前言っておりましたが。』
私「はい、そこでの出会いが今の私を形成しているといっても過言でないと思います。文武両道で、行事も盛んでした。なんでも楽しかったですね。なんでもない毎日も。」
エピソード3ー受験失敗した。
私『どうしてそのあと鳥取へ?』
私「ほかに行きたい大学があり、浪人しました。浪人したのに現役のセンタ-の成績で十分に入れる大学に行くことになりました。私の人生の大きな挫折ではありましたが、それが運命の始まりでした。」
私『ピンチはチャンスだったと』
私「いいこと言いますね(私ですからね)。そして学歴という点で地方大学はその後のキャリアにピンチだと思っていましたが、私の今かかわっている業界ではそんなこともないです。」
エピソード4-大学で爆発した。
私『どんな大学生だったんですか?』
私「勉強以外のことにたくさん時間を割いてましたね。」
私『いままでやってたことを教えていただけますか?』
私「時系列でいくと、国際開発研究会、サーフィン部、学生団体Un petit pas、種もみからのコメ作り、東北支援ですかね。最近は国の研究機関に研修に行ったり、タンザニアに行ったりしていました。」
私『ごちゃごちゃしてるので一つ一つ聞くのはやめますね。』
私「追って自己申告していきます(記事にしていきます)」
エピソード5ーなんかよくわからない国に行った
私『大学卒業後は協力隊に行った、と。』
私「大学院に行く気満々だったんですが、研究をしていく中で、“これは本当に役に立つ研究なのか”わからなくなりました。事件は現場で起きていると教わりましたし、実際に<住んで>困っていることがあるのか、あるとしたらどんなものか、を知りたいと思い、協力隊を応募しました」
私『受かったんですね。』
私「アフリカは元気なアホがいけるところ!と先輩に言われていたので心配していませんでしたが、新卒で専門職?(稲作)だったので、受かるか心配でした。受かってよかったです。」
エピソード6-ガンコばばあ
私『協力隊に言って何か変わりましたか?』
私「何かできるという思いは強くなりましたね。小さいころからやりたかったことがやれることの気づきとともに、より具体的になりました。彼らは外から変化を起こしてくれーなんて期待していませんよ、変えられることは自分たちの熱量で変えていくでしょう。変わっていくのは環境の方なのです。自然環境しかり、社会環境しかり。いまの生活を続けるためにこそ、変わっていかなければいけないのです。私たち先進国と呼ばれる国に住んでいる人々が選択肢としてたくさんのものを持っていること知っていることは否定できないのではないでしょうか?歩く辞書と呼ばれる人がいるならそんな人になりたいですね。より豊かな生活ができるような選択肢を与え続ける人になりたいです。」
私『あ、そうですか。』
私「あんまり興味ないですか?」
私『いつも一緒にいるんでね。』
ということです。こんなやつです。
どうぞよろしくお願いします。